日本の歴史

チョコレート生産のうつりかわり

チョコレート生産の中断・再開・隆盛

昭和になると、チョコレートメーカーが多数参入し、多くの製品が市場にならぶようになりました。チョコレートの嗜好が一般に受け入れられて大衆化し、消費の対象が広範囲となってきましたが、それもつかの間、長い戦乱の時代となり、チョコレートの生産も中断されました。

そして戦争が終わると、チョコレートへの熱は一気に高まっていきました。

昭和12(1937)年 カカオ豆などに輸入制限令が発令

我が国の海外での戦線の拡大とともに軍需用品以外のものに制限が加えられるようになりました。昭和15(1940)年には、軍需用以外のチョコレート製品の製造が中止させられました。

また、不要不急の金属資源として供出させられたチョコレートの製造設備もありました。

昭和16(1941)年 ビターチョコレート代用品の研究

主原料であるカカオ豆の輸入は途絶しましたが、チョコレートの愛好家のために、国内の資源を使った代用品の研究が行われました。チューリップや鉄砲百合の球根、決明子、落花生粕などを主原料とし、植物油、バニラを加えた代用品の開発に成功しました。しかし大量生産や一般販売にまでは至りませんでした。

昭和20(1945)年 米軍放出チョコと代用グルチョコの生産

戦争終結後、外国産チョコレートが、外国人向け商社や進駐軍PX(軍隊内販売所)用、ホテル販売用などの正規ルートの他、非正規ルートでも国内に放出されて流通しました。

カカオ豆の輸入ガ途絶えていたチョコレート業界では、グルコースを主原料とし、これに原料統制外の薬品用ココアバター製造の副産物であるココア粉などを配合し、チョコレートを模した代用グルコースチョコレートが開発・生産されました。甘いチョコレート風味を望む消費者の需要に供給が追い付かないほどの売れ行きを示しました。昭和24年には、東京都復興宝くじの景品用として、約80万枚のグルチョコが納品されています。

昭和26(1951)年 日本のチョコレート生産再開

この年、輸入外貨資金割当制度によりカカオ豆の輸入がはじまり、チョコレートの生産が順調に進展しはじめました。チョコレートメーカーも多数が復興し、需要も増加していきます。

昭和35(1960)年 カカオ豆・ココアバターの輸入自由化

バラエティに富んだ多くのチョコレート製品やココア製品が世に出てきて、今日のチョコレートの隆盛がはじまります。