世界の歴史
カカオ豆栽培のひろがり
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カカオについて
チョコレートの語源
チョコレートという言葉のもとになったのは、スペイン語の「チョコラテ」で、1570年代に生まれたといわれています。
語源についてはマヤ語やナワトル語(アステカの言語)由来とする諸説があります。
一例として、D・コウ夫妻の『チョコレートの歴史』によると、スペイン人が、マヤ語の「チョコル」に水を意味する「ハー」の代わりにアステカ語の「アトル」をつけて「チョコラトル」という新語を作りだしたのが源だといわれています。
スペイン人のアステカ征服以前は、マヤ族は「カカウ」、アステカ族は「カカワトル」と呼んでいました。しかし、ヨーロッパに伝わるにつれ、カカオをすり潰した飲み物を「チョコレート」と表していました。食べるチョコレートが発明されてからは固形チョコレートを示す言葉となりました。
カカオ豆は赤道の南北20度以内の高温多湿な地域で栽培が行われています。中南米か らアフリカ、アジアなどに広がって行きました。
中南米への広がり
- ※16世紀前半の産地
メソアメリカ(現在のメキシコ・タバスコ、ソコヌスコ周辺)が中心。伝染病や過酷な労働による原住民人口の減少により衰退した - ※16世紀中ごろ
イサルコス(現エル・サルバドル)周辺で盛んになった。ここも原住民の減少による労働力不足により衰退した。 - ※1525年スペインによりトリニダード島への移植がされた。
- ※17世紀:カリブ海周辺地域と南米が産地になる
- ※ベネズエラ(カラカス周辺)入植地からの出荷
1607年
- ※ジャマイカへの移植
1635年~40年
- ※エクアドル(グアヤキル周辺)の栽培
1640年代
- ※ドミニカ共和国への導入
1665年
- ※仏領マルチニーク島からの本国への出荷
同島がフランスへの供給地であったことは、
岩倉使節団の報告書にも記載がある(日本の歴史編参照)。
1679年
- ※ブラジル(バヒア)からポルトガルへの出荷
バヒアは商業供給地の中心となった
1770年代
アフリカへの広がり
- ※ポルトガル領サン・トメ島へブラジルから移植
1824年
- ※コート・ジボアール、カメルーン、コンゴへの植栽
1822年~1905年
- ※西アフリカ地域(ガーナ・ナイジェリアなど)へ植栽広がる
1830年~1907年
アジアへの広がり
- ※インドネシア(ジャワ島)へのカカオの紹介
オランダ領東インド諸島になって一大産地になる
1560年
- ※イギリスはセイロン島へ、スペインはフィリピンに紹介した。
チョコレートと砂糖と奴隷労働
- ヨーロッパ各国は新世界発見とともに、メソアメリカや南米でサトウキビ栽培を始め、砂糖を生産してヨーロッパ大陸に持込みました。料理や菓子に使われるようになると大量の砂糖が必要になり、ヨーロッパがカリブ海諸島を植民地化すると、サトウキビのプランテーションが盛大に行われるようになりました。砂糖やカカオ栽培の労働力を補うためアフリカから奴隷が導入されました。
- 新世界から砂糖やカカオを積んだ船がヨーロッパに入ると、その船にヨーロッパ製の武器・繊維などの工業製品を積んでアフリカに向かい、黒人奴隷と交換して新世界に向かうという、ヨーロッパ・アフリカ・新世界植民地を結ぶ大西洋三角貿易が成立し、長い間行われていました。