日本の歴史

日本のチョコレート事始め(使節団・留学生チョコレートの本場へ)

日本のチョコレート事始め

チョコレートをはじめて食べた(飲んだ)人は?

慶長18(1613)年~元和6(1620)年 伊達政宗 慶長遣欧使節を派遣

仙台藩主伊達政宗により派遣された支倉常長の一行は1613年から1617年までスペインに滞在しました。ローマ法王にも謁見し、常長はローマ市民権を与えられました。

常長使節団が滞在した時期は、スペインにカカオが伝えられて80年余、スペイン王女アンヌ・ドートリッシュがチョコレートを持ってフランス国王ルイ13世に嫁いだ時期と重なりますが、一行がチョコレートを味わったかどうかの記録は全くありません

常長使節団には、スペイン現地に残った人、途中のメキシコやフィリピンで帰国を断念した人もありました。常長自身は厳しいキリシタン弾圧の世にフィリピンから単身帰国しますが、持ち帰った文物は藩により厳重に封印され、慶長遣欧使節団の事実は忘れ去られました。彼らの業績が公になるのは、明治6年に岩倉使節団がヴェネチアにおいて常長の書状を発見し、先人の壮図が明らかになってからです。

幕末、海外使節団・海外留学生がチョコレートの本場へ赴く

安政7(1860)年に幕府は米国へ使節団(咸臨丸(艦長勝海舟)他)を派遣したのを皮切りに、文久元(1861)年に福沢諭吉や福地桜痴らも随員となった遣欧使節団をチョコレートの本場へ送り出しています。

また、長州藩は文久3(1863)年に長州藩は伊藤博文、井上馨、井上勝他を英国へ、薩摩藩は慶應元(1865)年に寺島友則、五代友厚、森有礼他の洋行派遣団を密行させています。彼らはロンドン大学などで学んでいます。

幕府はついに慶應2(1866)年条約締結国への留学渡航の自由化を行い、幕府・諸藩から多数の人が欧州に滞在しています。すでに食べるチョレートも本格化した時代で、彼らもその味わいを楽しんだものと思われます。