世界の歴史

スペインに渡る

スペインに伝わったカカオ

スペインへカカオの有用性伝える

コルテス
アステカ王国を滅ぼした人物として有名ですが、スペイン国王カルロス一世に宛てた書簡で、「このカカオと申すものは、粉にして売られ、大変珍重されているものであります。当地では広く貨幣の役割を果たし、市場でも他の場所でも、必要な物をすべてこれで買うことができます」とカカオの有用性を報告しています。

スペインへ伝わる

スペインにいつチョコレートが伝わったかルートや正確な年月はわかりません。新スペインとスペイン本国の間は、貴族・軍人・聖職者・官僚・商人などの様々な人の往来がありました。これらの多様なルートを通じて、新スペインで庶民にまで広がっていたチョコレート飲料がスペイン本国に伝わったと考えられます。

また、修道院組織や聖職者組織が大きな役割を果たしました。1534年にピエドラ修道院でヨーロッパ最初のカカオが調理されたといいます。

1544年にドミニコ会修道士たちがマヤ族の貴族を伴ってスペインを訪れ、フェリペ皇太子に謁見した際に、泡立てたチョコレートを用意していました。

スペインに輸入されるカカオは少量であり、しかも大変高価だったため、チョコレートを享受できたのは王侯貴族や上層階級に限られました。

新スペイン(メキシコ)のチョコレートの普及

アステカの特権階級の嗜好品であったカカオ飲料が庶民に広がったのは、アステカ王国が滅びスペインの植民地(新スペイン)になってからです。

アステカ王国滅亡後も新スペイン各地からカカオの貢納は続き、スペイン人がそれを受け取りました。新スペイン社会の中にカカオの循環径路が作られ、カカオ飲料を飲む習慣が広まっていくと、カカオ飲料は大衆的な飲み物となりました。アステカ王国で上層階級が親しんでいたカカオの品種はクリオロ種でしたが、スペイン征服後は生産量が多くより安価なフォラステロ種が広まり、大衆化に貢献したようです。

新大陸にやってきたスペイン人と現地の文化との交わりが発生し、新スペインでは多くのスペイン人家庭の食生活にチョコレートが取り入れられたといいます。  新スペインに砂糖が入ってきたのは1522~1524年頃とされ、この頃チョコレートが甘い飲料になったようです。

これまでアステカ族が甘味を加えず飲んでいたチョコレートは、白人たちの大変革により熱く砂糖で甘味を加えられたものになりました。(チョコレートが熱く甘い飲物になったのはスペイン本国へ伝播してからという説もあります。)

また、アステカの戦士たちの利用法を応用し、カカオ液を固形にして貯蔵や運搬を便利にしました。